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空犬通信

本・本屋好きが、買った本、読んだ本、気になる本・本屋さんを紹介するサイトです。

積ん読はなくさなくていい、どころか、むしろ必要であると言いたい

「「積ん読」をなくすシンプルな仕組み」というタイトルを見かけました。
「積ん読」は、なくさなくていいと思います。



「積ん読」をなくすとか解消するとか、そういう記事は、定期的に、という感じで割によく目にします。「積ん読」と言えば、先日もこんな記事が目に留まりました。(社説)積ん読の勧め 肩の力抜いて自分流に」(11/7 朝日新聞)


記事の一部を引きます。《春先からのステイホームで「読書をする時間ができた」と意気込んで買った本が、そのまま「積(つ)ん読」になっている人も多いのではないか》。


《意気込んで買った本が、そのまま「積ん読」になっている》……まったくもってノープロブレムですよね。だいたい、読まれるのを待っている本が傍らに積み上げられているなんて、すごくうれしいことではないですか。いつ手にしたっていいし、手にしなくたっていいんですよ。積み上げられた本の背を眺めるだけでも楽しいし、山の下のほうから、あっ、こんな本が!などと、しばらく前に買って、存在を忘れかけていた本に出会い直したりするのもまた楽し。


先の記事自体は、タイトルが「積ん読の勧め」となっているくらいで、《春に刊行された『積読こそが完全な読書術である』》が《肩の荷を下ろしてくれそう》だと続けていますから、「積ん読」を認めるというか勧めるとうか、いろいろな読み方もあっていいのだ的な主旨の文章になっているのですが、どちらかというと、このタイプは例外で、多くは、積ん読=本来あってはならないもの、解消しなくてはならないもの、というスタンスのもののほうが多い感じがします。


買った本は読まなくてはならない、それも必ず最後まで、という思い込みというか誤った神話が行き渡っているせいなのかなんなのか、「積ん読」をなくすべきもの、解消すべきものと、悪者か何かのように扱う論調は昔から根強くあり、本好きが、積ん読上等を訴えても、なかなかそういう悪者論はなくなりませんね。


「積ん読」には何の問題もありません。積ん読上等。ここだけ大きな字にしたいくらいです。ぼくは昔から積ん読OK、積ん読大好き、積ん読ノープロブレム派で、今もそうで、今後もその態度を貫こうと思っています。


それにしてもなあ、コロナ禍があってもなお、まだ「積ん読」を悪者にしている人がいるのはちょっと驚きな感じがします。だって。役に立ったではないですか。救われたではないですか。「積ん読」本に。


コロナ禍では、当たり前だと思っていたものが次々に失われてしまう状況に世界中の人がさらされたわけですが、「本を入手する」という比較的容易で当たり前だと思われていた行為(書店が減っているなども問題もあるため、環境による差はありますが、それはここではさておき)でさえ、今回のような事態にあっては、とたんにハードルの高い行為になってしまいましたからね。


コロナ以前に、周りの書店や図書館が一斉に閉まってしまうなどといった事態を予想・想像できた本好きはおそらくいないでしょう。まさか、そんなことが起こるわけはない、と誰もが思っていたわけです。思っていた、というか、そのようなことを意識することすらなかったわけですね。


でも、実際に、そのようなことが起きてしまった。本が買えない。本が借りられない。本がどうのこうのどころか、もっと生活に、生命維持に必要なものの入手すらままならない。外出すらもできない。


そのような事態になってしまったときに、本好きはどうしたでしょうか。(それで生計を立てているかどうかではなく)本がないと生活できないような人というのは、ぼくを含め、世の中にはそれなりに存在しているはずですが、そのような人たちはどうしたか。家に「積ん読」の山=これから読まれる本たちの山があったために、それに助けられた、という人はたくさんいるのではないでしょうか。


もちろん、リアル書店がしまり、図書館が閉まってしまったときも、オンライン書店の通販や電子書籍で本を買おうと思えば買えたわけです。でも、コロナ騒ぎのように、人との接触やモノを介した接触にも気をつけないといけない事態になったときは、電子書籍はともかく、リアルな物を取り寄せて、運送業者の方に届けてもらうという入手方法は、それほど気軽に手を出せるものではありません。それまでは当たり前だったのに、突然、受け渡しの方法やタイミングや、本が自分の手に届くまでの流通過程に関わっている人たちのリスクに気を配らないといけない事態になったわけです。そうなると、そのような行為(つまり、他者に感染のリスクを負わせる行為)を逡巡してしまった人も多いはず。


そんなときに、自分の家にもとからあった本の山=「積ん読」の山が、どれだけ頼もしいものに見えたことか。第三者の手にふれることもなく、誰に心配をかけることもなく、まだ読んでいない本を手にすることができるわけです。これ以上、いろいろな意味で安心な存在はあったでしょうか。


つまり、本好きにとっての「積ん読」本の山は、もはや、非常用持ち出し袋や、買い置きの水や非常食と同じレベルといっていいような、そんな存在なのかもしれないわけです。……まあ、一般的に賛同が得られそうかどうかはともかく(苦笑)、少なくとも本好き、本がないと生きていけないくらいの本好きにとっては。


ね。「積ん読」もあっていい、というか、「積ん読」はあったほうがいいくらいなのですよ。


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コメント

ホントに・・・

こんにちは.
積ん読,減りませんでした・・・・・どころか増えました(^_^;)
コロナ渦中に新しく好きになった作家の文庫をまとめ買いしたり,
SFは相変わらず読み進められなかったり,
愛読書や愛読作家の新訳がどんどん出たり.

おまけに先月号の本の雑誌で「本業界のマンガ」が特集されてて
読みたいのが増えてあれこれ買ってしまいました,
こちらはあっという間に読めましたけども.

映画「ナイル殺人事件」が日本でも公開延期になりそうで,
新訳読むモチベーション下がってしまいました・・・・・

  • 2020/11/13(金) 00:03:03 |
  • URL |
  • みこ #nLnvUwLc
  • [ 編集 ]

積ん読

みこさん>
いつもありがとうございます。

> 減りませんでした・・・・・どころか増えました
まったく問題なし!です(笑)。

新訳はなかなかやっかいな問題ですよね。
愛読書だと、新しい訳で読みたい気もするし、
でも、慣れ親しんだ旧版を大事にしたい気も
するし。

  • 2020/11/14(土) 20:11:23 |
  • URL |
  • 空犬太郎 #-
  • [ 編集 ]

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