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空犬通信

本・本屋好きが、買った本、読んだ本、気になる本・本屋さんを紹介するサイトです。

もったいない本棚?

本棚に関する記事が目にとまりましたので、読んでみました。……うーん。これはなあ。



こちら。こんなことが書いてありました。


《あなたは自分の本棚をお持ちでしょうか?
お持ちであれば、どういう状態でしょうか?
「もう5年以上、同じような本が同じような場所に並んでいる」
「SNSで誰かがオススメしていて、勢いで買った本が未読のまま積んである」
そんな状態だとしたら、すごく「もったいない」ことかもしれません。
せっかくの本が、本棚が、「死んで」いるかもしれないのです。本棚を100%、120%生かすことができれば、本が生き返り、読書のスピードもぐんと速くなります》。


「もったいない」だの「死んで」いるだのって……。どのような本棚にしようと、どのように本棚を使おうと、その人の好みだし勝手だと思います。だから、自分とは違う考えで、本棚を活用している人たちがいるのは当たり前だし、その人がよければそれでいいと思うのですが、でも、それはあくまでもその人のスタイルの話。本棚が常に入れ替わっていなくてはならない、でなければ「死んで」いる、みたいな決めつけはやめてほしいなあ、と思うのです。


《もう5年以上、同じような本が同じような場所に並んでいる》→別に何の問題もありませんよね。本好きが気に入った本は、5年やそこらでころころ変わったり動いたりするものではありませんしね。


《SNSで誰かがオススメしていて、勢いで買った本が未読のまま積んである》→これもまったく問題ありません。勢いで買おうが熟慮で買おうが本は本。買いたいときに買えばいいわけです。SNSで誰かがおすすめしている本が、読み手を動かしたのならば、発信者の情報発信力が高かったり、タイミングがよかったりしただけのこと。受け手が、それによって買い物をすることには何の問題もありません。それに、本に関する情報ソースがSNS中心になってきているのは、今では当たり前のことですからね。


どのようにして買った本であれ、それらが未読のまま積んである、つまり積ん読になっているとしても、まったく問題ありませんよね。そのようにいつでも読める状態になっている本が手の届くところ、目の届くところにたくさん控えているなんて、本好きにはうれしい事態(うれしい悲鳴的な事態、かもしれませんが)でこそあれ、何もはずかしいことでも、困ったことでもありません。多くの積ん読派にとって困ったことがあるとしたら、そうした積ん読の山が物理的に居住スペースを圧迫してしまう点くらいでしょうか。


本棚の本は常に入れ替えなきゃいけない、とか、ときめかない本や再読しない本は手放しちゃえ、とか、そういう考え方でも別にかまいません。かまわないのですが、でも、世の中には本がそろっていること、本が並んでいることに価値や喜びを感じる人もいるわけですから、そうでなくてはいけないみたいな話にはしてほしくありませんよね。


世の中には「蔵書」ということばもあったりするわけです。「蔵書」というのは、そんなに簡単に形成されるものではないし、年月を経て積み上げられてきた蔵書の持つ魅力や存在感は、常に本が入れ替わり、よく言えば新鮮な、悪くいえば落ち着きのない本棚の持つそれとは、まったく別種のものなのです。


くだんの記事の書き手の方のような見方によれば、我が家の本棚など、それこそ、「「死んで」いる」のかもしれないし、「すごく「もったいない」かもしれないものに見えることでしょう、きっと。別にいいんですけどね。だって、そのような本棚の持ち主本人は、本棚を眺めると、毎回、たいそう幸せで楽しい気分になっていたりするのですから。


何十年も本好きをやっていると、もう変えようもないくらいに、どうしようもないくらいに、好きな本とか好きなジャンルとかってのができちゃうものです。そういう本やそういうジャンルの本たちは、5年どころか、何年も(ときには十何年とか何十年とか)本棚を占拠することになったりするもの。でも、それってダメなことなのかな。


好きな本がいつも本棚のそこにある……ぼくにとって、そのような光景、そのような事態は、喜びや楽しみでしかありません。余談ですが、CDやレコードに関しても話は同じで、レコード棚には大昔、それこそ高校生のころから変わらぬ並びがあったりしますが、その並びを「死んでいる」などと感じたことは一度もありません。


本棚の本は常に入れ替えなきゃいけない、とか、知的生産に結びつかないといけない、とか、そんなこと、ぼくは一度も考えたことがありません。その意味では、知的生産には無縁な生き方をしていることになるのかもしれませんが、でも、本読みとしては幸せなのだから、それでいいや、と思っています。


ぼくはけっこうな勢いで本、それも新刊を買うものですから、ふだんの読書は勢い、新刊中心になりがち、買った本を順に読んでいくことになりがちで、買った新刊を追うのに手一杯(さらに言えば、それすら追いつかずに積ん読の山、未読本の山ができることに)


この連休は、連休らしい読書を、と思い、本棚の整理も兼ねて、本棚から、新刊ではない本、急ぎで読まなくてはいけないわけではない本、最近買った/話題になった本ではない本、いつ買ったのか思い出せないくらい以前からある本、などなどをいろいろ引っ張り出してみました。


こういう読書ができるのは、それなりの蓄積があるからです。わずかな冊数を入れ替えてばかりの本棚だとそういう楽しみ方はできないんだろうなあ、と、別にそれでもいいけれど、自分はそうでない方が向いているんだなあ、このような本棚でよかったなあ、などとしみじみ思いながら、古い本を次から次に手にとって楽しい時間を過ごすことができました。


このような場合の読書は、当然、通読でなくてもぜんぜんいいわけです。冒頭やお気に入りなどの「部分」を読むだけでもいいし、目次や索引から気になるところに跳ぶのもいいでしょう。カバーをとった本体の意匠を確認したり、造本自体を楽しんだり、するのもいいですね。これら、すべてが「読書」、なんですよね。


このような行為は知的生産活動からはほど遠いのかもしれません。でも、この連休の読書は、ぼくのような本好きにとって、とても楽しく、とても充実した時間になったことをご報告しておきます。


ぼくの意見だけではたいそう心もとないので、最後に、本棚についてのこんな文章を紹介しておきます。


《T:いずれにせよお二人は、読んでない本や一生読むこともない本を本棚にたくさんためこんでいるすべての人たちを、その罪悪感から見事に解放してくださいました!
C:本棚は、必ずしも読んだ本やいつか読むつもりの本を入れておくものではありません。その点をはっきりいさせておくのは素晴らしいことですね。本棚に入れておくのは、読んでもいい本です。あるいは、読んでもよかった本です。そのまま一生読まないのかもしれませんけどね、それでもかまわないんですよ。
E:知識の保証みたいなもんですよ》。


ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(CCCメディアハウス)より。(引用文中の「T」はジャン=フィリップ・ド・トナック、「C」はジャン=クロード・カリエール、「E」はウンベルト・エーコ。)


書影 もうすぐ絶滅……



「本棚」については、以前にこんな文章も書いていますので、よろしければ。こちらと、こちら



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