空犬通信

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アラン・ホールズワースのこと

中高生のころに出会ったヒーローの死は、自分でもびっくりするぐらい衝撃が大きいものですね……。先日、人生でもっとも敬愛するギタリストの訃報に接し、数日過ぎた今なお、呆然としています。「【訃報】アラン・ホールズワース氏=米ギタリスト」(4/17 読売新聞)


ジャケ IOU・ロードゲームス

記事を引きます。《英国出身で米カリフォルニア州南部に居住。1970年代からプログレッシブロック系のバンドなどで活動。ジャンルにとらわれず卓越した技巧を駆使する演奏スタイルで「ギタリストの中のギタリスト」などと呼ばれ、83年に発表したアルバム「ロード・ゲームス」はグラミー賞候補に選ばれた》。


4/19付東京新聞の記事「アラン・ホールズワース氏 米ギタリスト」には、《大きな手を生かした独特の演奏テクニックで知られ》と、短い記事ながら、アランの最大の特徴の1つである手の大きさにふれられているのが目を引きます。


(以下、一人のギタリストへの個人的な思いを綴っただけのもので、本にも本屋にも関係のない話題で、しかも3回続きます。すみません。)



初めてアラン・ホールズワース(Allan Holdsworth)の名前に出会ったのは、中学生のころ、『ギター・マガジン』の特集記事でのことでした。そのときの記事の切り抜きが残っています。


書影 アラン・ホールズワース GM記事

中学生(!)のときに買った雑誌の記事です。ぼくと同世代のギター弾きなら、この扉を覚えている人がいるかもしれませんね。『ギター・マガジン』1983年12月号に掲載された「アラン・ホールズワース ギター・サウンド研究」という特集記事。


よほどのことがないとそのようなことはしないのですが、アラン・ホールズワースに関しては、雑誌で目についた関連記事などは切り抜いてとっておき、何度も読み返してきましたので、こういうものが引っ張りだせたりするのです。


『ロード・ゲームス』が発売された年ですが、なにしろ《未だ一般的な知名度を得るには至っていない孤高のギタリスト》(特集扉より)です。まったく情報がないに等しい状態だった中学生にとって、このわずか7ページほどの特集がどれだけありがたいものだったか。WEBで簡単にいろいろな情報が手に入れられる今と違い、当時は、ふつうの音楽少年が関心のあるアーティストの情報を得ようと思ったときの、いちばんの頼りは雑誌の記事だったんですね。何度も繰り返し読み込みました。


初めレンタルレコードで出会い、後にレコードを入手し直した1983年発表のミニアルバム『ロード・ゲームス』を初めて聴いたときの衝撃は今なお忘れることができません。当時、すでにそれなりにいろいろなギター音楽を聴き始めていましたが、そのいずれにも似ていない。独特ということばでは足りないぐらい唯一無二、まったく聴いたことのないタイプのプレイでした。


ソロ以外のパートで聴けるクリーントーンは、深くディレイのかかった独特なサウンドで、ふつうに聴いただけだと、エレキギターの音には聞こえません。重厚に重ねられた複音は、いったいどんなフォームでおさえているのか想像もつかないし、ボイシングが特異過ぎてコードネームすらも特定できません。独自のボイシング+ボリューム奏法+深いディレイで奏でられるコードプレイは、とてもギターとは思えない響きで、それまで好んで聴いていたハードロックギターの世界ではまったくふれたことがないものでした。


コードプレイも衝撃でしたが、ソロがこれまたすごい。それまで、中学生のギターキッズらしく、リッチー・ブラックモアやゲイリー・ムーアら、ハードロック界のギターヒーローをコピーしていましたが、ハードロック系によくあるフルピッキングによる速弾きとはまったくアプローチの異なるレガートなプレイは、どんなポジションで、どんなフィンガリングで弾いているのか、さっぱりわからない。そもそも、速過ぎて、流麗過ぎて、音のつながりがなめらかすぎて、音の並びに感覚がついていかない。


だからといって、聴いていてこ難しいものに感じられたわけではありません。コードワークもそのあまりにもなめらかなソロのラインも、美しいメロディ感覚に支えられているため、自然に耳に、からだに入ってくる。実際にはぜんぜん再現などできていないのに、頭の中で歌いたくなる、そんなふうに感じられたのでした。


すべてが新鮮で、衝撃的でした。


レコードの時代には、繰り返し繰り返し音楽を聴くことを、「針がすりきれるほど」などと表現したものですが、最初、この盤はカセットテープで聴いていたので、それこそ、テープが伸びてダメになってしまうまで聴きました。


それまで、活字情報も音源にもほとんど接する機会がなかったというのに、この出会いで何かがいいほうに動き始めたのでしょうか。その神様の姿を生で見る機会は、意外に早く訪れました。


孤高のギタリストが初めて来日したのは、翌1984年5月のこと。東京・大阪・名古屋で公演をしています。この時点でふつうに聴ける作品はミニアルバム1枚であったことを考えると、すごいことですよね。大阪の高校生だったぼくは運良く、5/9の大阪・御堂会館でのライヴのチケットをとることができました。なんと9列目(たしか)


あまりのすごさに詳細はとんでしまっていますが、とにかく、ものすごいものを観た、観てしまった、という強烈な印象だけがくっきりと心に刻まれました。ぼくが人生で観たライヴのなかで、ベストの1つとなりました。


1984年の来日公演は『Tokyo Dream Allan Holdsworth in Japan』というタイトルで、ビデオ化もされています。すばらしい内容なのに、なぜか今にいたるまでDVDでは公式リリースされていません。


ぼくがその後、30年以上もファン、それも熱心なファンでいることになるきっかけが、たった1枚のミニアルバムと、1回の来日公演だったんだと思うと、なんだかちょっと不思議な感じがします。


大好きなギタリストはたくさんいますが、特別な思い入れのあるギタリストというのは数えるほどしかいません。そして、一人だけを挙げよ、と言われたら、これまで迷わずこの人の名を挙げてきました。


アラン・ホールズワース。


彼はこの世を去ってしまったわけですが、でもこれからも、やはり、1人だけ、好きなギタリストをと聞かれたら、これまでと同じように、彼の名前をあげたいと思います。


たくさんのすばらしい音楽をありがとう。アラン・ホールズワース。R.I.P。


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