こんな立派な本をいただいてしまいました。
- 山口翼編『日本語シソーラス 類語検索辞典 第2版』(大修館書店)

↑この厚さ、このボリュームです……。いやはや。
これは、2003年に刊行され、大型の日本語シソーラス(類語辞典)としてプロの高評価を得て(丸谷才一がたいそう評価し、未読ですが絶賛書評*を寄せたといいます→*文末に追記あります)、この種の大型辞典としては「例外的に」といっていいぐらいに売れたとされる『日本語大シソーラス 類語検索辞典』の改訂版です。
初版にあった「大」がとれていますが、規模を減じたわけではまったくなく、今回も1600頁超のボリュームで、手にするとずっしりと持ち重りがします。その圧倒的な存在感は、上の写真でもおわかりいただけるでしょう。
どのような辞書であるかは、ぼくが下手な説明をしてもうまく伝わらないかもしれないので、版元の内容説明をそのまま引きます。
《シソーラスは、意味の類似に従って言葉をグルーピングした類語検索辞典です。19世紀半ばにイギリスで刊行された『ロジェのシソーラス』は、英文を書くためのツールとして広く長く愛用され、今日に至っています。同じ発想に基づく日本語のシソーラスは日本でも各界から要望されてきました。しかし編纂の困難さから、その成立は本書の初版である『日本語大シソーラス 類語検索大事典』(2003年)を待つこととなりました。この辞典は、実に二十数年の編纂期間を経て成し遂げられたものでした》。
《本書は分類の構成を優先せず、出来るだけ多くの言葉・表現を収集しながら、それを連想に基づいて群にまとめ、分類を練り上げる作業を繰り返して作られました。そのため日本語使用の実態や、言葉の世界に定着された日本人の感性がよく反映されており「日本人の文化・感性の総索引」と言える内容となっています》。
13年ぶりの改訂となったわけですが、いやはや、このご時世に、よくぞこの規模の辞典、それも一般向けの国語辞典ならともかく、使い手を選ぶ大型類語辞典の改訂版を出せたものだと、同じ出版に関わる身として驚かずにはいられません。しかも、聞けば、増刷もされたといいますから、さらにびっくりさせられます。いやはや。
ぼくは、こうして他人様に駄文をさらしたりすることがありますし、一応、編集者として長く飯を食ってきた身でもありますので、類語辞典はそれなりに愛用してきました。ふだんは角川と小学館のを使っていて、それらに不満はとくにないのですが、『日本語シソーラス 類語検索辞典 第2版』を見ると、それら小型類語辞典とはまったく別の辞書であることが一目瞭然です。
具体的な項目で見てみるのがわかりやすいでしょう。たとえば、空犬通信の書き手らしく、「本屋」を見てみます。小学館の『使い方の分かる類語例解辞典』では、「本屋」は「書店」と併記見出しで、関連語には3語があがっています。語数は少ないのですが意味、使い方、使い分けに関する解説があり、対応する英語表現まで載っているなど、丁寧な記述になっています。
一方、『日本語シソーラス 類語検索辞典 第2版』だと、「本屋」は単独見出しで、類語には下位区分まで含めると21(漢字のバリエーションを1つとすれば20)もの表現が並んでいます。その代わり、語の意味や使い分けの解説はありません。カタカナ語表現は載っていますが、英訳もありません。同じく、「読む」で比べてみます。小見出しの立て方が違うため、単純比較はしづらいのですが、『類語例解』は(小)見出しと関連語を合わせて20数表現に対し、『日本語シソーラス』は最初の小見出し「読む」の関連表現だけでそれぐらいの数になっていて、以下、小見出しだけで10を超え、類語・関連表現を入れるといくつになるのか、数える気になれないほどの表現があがっています。
『類語例解』のほうは、これら2項目の類語・関連表現にはまったく知らない語というのはありませんでしたが、『日本語シソーラス』のほうには知らない語、見たこともない語がいくつも混じっています。「本屋」「読む」のように、自分がよく知っているつもりの語に、見たこともない「類語」が混じっているのはなかなか新鮮な感じですね。これは重宝しそうだなあ。拾い読み、斜め読みするだけでも楽しめそうだなあ。当方のような語彙の乏しい書き手には大変ありがたい存在になりそうです。
ただ、これはどちらがいい悪いの話ではなく、辞書に何を求めるかの違いでしょう。小型中型のほうは、国語辞典や漢和辞典の要素があり、これだけである程度の意味・用法を把握できますが、大型シソーラスのほうは、本家、Roget's Thesaurs同様、語彙が並んでいるだけです(たとえば、こちらを見ると、本家の雰囲気がわかります)。それらのくわしい意味・用法を知ろうと思ったら、国語辞典や百科事典を引きなおすことになります。基本語彙に関して、いちいちこまかな意味だの説明だの要らない、できるだけたくさんの語彙・表現が欲しい、というタイプにはこちらが向いていると言えそうです。
そんなわけで、本辞書は、仕事や趣味で文章を書く機会が多い人、語彙・表現の幅を広げたい人におすすめです。
この辞書、気になるけど、欲しいけど、ちょっと値段がなあ、と、迷う方も多いでしょう。本体15,000円は、さすがに簡単には買えませんからね。で、そんなふうに迷っている方が、本書をもしも店頭で見かけたら、巻末の跋語(あとがき)を読まれるといいと思います。
辞書には多く、冒頭に編者の緒言が収められていて、そこにはその辞書編纂にあたっての編者の思いが込められていたりします。この辞書の場合も例外ではなく、巻頭諸言には、編者の熱い思いがあふれているのですが、さらにおもしろいのは、巻末に収められた跋語。
これが、辞書に収録される文章としては異色というかなんというか、辞書らしからぬというべきなのか、学者らしからぬというべきなのか、版元編集者とのやりとりにふれられているのはまあよくあることとして、ほかに、家族恩師への感謝が綴られていたり、辞書編纂の苦労が語られていたりするかと思えば、(主に競合辞書への)うらみつらみに近いようなことが吐露されている部分があったりもして、なんというか、非常に人間くさい文章になっていて、おもしろいのです。
辞書などというと、どれもこれも同じ、電話帳などと同じように、データを集めたものでしかない(しかも、この辞書は、語釈抜きで語彙を集めてまとめた「だけ」に見えなくもない、ときていますからね)、などと思っている向きには、ぜひ本書の前後の部分だけでも読んでほしいものです。
この辞書についてはもちろんのこと、「辞書」というもの、そのものについても印象が変わるかもしれません……というのは、ちょっと大げさかな(苦笑)。でも、まあ、とにかく、(ふつうは辞書の前後の付き物などまず読まれないと思うので)ここまで読まれてこの辞書のことが気になった方は、ぜひ跋語(あとがき)を読んでみてください。
追記(7/21):このように書いたところ、書評を未読だという部分を読んだ知り合いが、書評の控えを見せてくれました。それによれば、丸谷才一の書評が掲載されたのは、2003年11月23日付「毎日新聞」書評欄。《この辞典の出現によって、日本語の文化は劇的に豊かになる可能性を持った》《この文明の疲弊を正す本になるかもしれない》と、まさに絶賛。
立花隆の書評は、『週刊文春』2003年10/2号の「私の読書日記」の一部として掲載。《情報量はきわめて多い。まず収録語数が二十万語と圧倒的に多い。重複分類をいとわずに行ったので(最多の語は三十分類もされている)、延べ収録語数は三十二万語に及んでいる》と、こちらは丸谷ほどの絶賛ではありませんが、類書との違いにきちんとふれたうえで、項目数の多さや分類にすぐれた点を高く評価する書きっぷりになっています。