空犬通信

本・本屋好きが、買った本、読んだ本、気になる本・本屋さんを紹介するサイトです。

図書館のこと

(図書館のことについて書きますが、ただの個人的な思い出話で、指定管理者問題や新刊貸出猶予問題などについて意見を述べるようなものではありません。)


小さな町の小さな公園に、月に1回、小さな車がやってきた。


その小さな車は、見た目はふつうのワゴンだが、ふつうと違っていたのは、車体の側面と車内に本棚を備えていたことだ。小さな車は、側面も中も、本でいっぱいだった。図書館が、あちらから自分たちのところにやってくる。それだけでも充分にわくわくさせられることなのに、図書館車は本でいっぱいで、中に入って自由に本を選べるのだ。近くに図書館のなかった田舎の子どもにとって、これ以上の本の出会いはあるだろうか。



小学校の図書室と、この移動図書館、自分にとっての初めての図書館がどっちだったかは忘れてしまったが、子どものころに移動図書館で本を選んだり借りたりするのを経験することができてよかったなあと、今も思う。(なかなかレポートを上げられずにいるが、移動本屋さん「ブックトラック」を取材させてもらったときは、移動図書館車のことを思い出して、ものすごくわくわくした。)学校の図書室が使えるようになったからだろう、やがて移動図書館は利用しなくなってしまった。


小学校の図書室にもいろいろ思い出があるが、何年生のときかで記憶の中にある図書室の様子がずいぶん違っている。当時は「少子化」などということばがまだ存在しなかったころ。ぼくが通っていたのはマンモス校で、一学年に12クラスもあった。1年生のときの図書室は、翌年には、教室が足りなくて校庭に造られたプレハブに移り、さらに翌年にはまた別の部屋に移った。たらい回しである。移動図書館好きが学校の図書室を利用するようになってみたら、学校図書室もある意味「移動」図書館だったのだ。


あるとき、同級生の女の子に声をかけられた。
「○○くん、これ、○○くんのやろ?」
手渡されたのは、ぼくが当時使っていたしおり。ぼくは学校の図書室で借りた本を読む際にも、お気に入りのしおりをはさんで読んでいたのだ(記憶では、当時は、岩波少年文庫にはしおりははさまれていなかったように思うし、仮にあったとしても、学校図書室でよく読まれている本に、新刊時のはさみこみが残っているはずもない)


当時の図書室本には、裏見返しのところにポッケがついていて、そこにカードがさしてあり、本を借りると、日付がハンコで押され、その横に名前が記入されるシステムになっていたから、直前に借りていたのがぼくであることは一目瞭然。そのときの本は『エーミールと探偵たち』(岩波少年文庫)だった。へんてこな本でなくてよかった、と思った。(当時は、いや、「は」というか「も」というか「から」というか、とにかく、怪獣だのUFOだの怪奇ミステリーだの、そんな本が大好きだったからだが、よく考えたら、それらは町の本屋さんで入手していたもので、学校の図書室にあるわけがないのであった。)


で、声をかけられた場面に戻る。本を借りてみたら、明らかに本に最初からはさんであったとは思われないしおりがはさんである。その子は、見返しのカードを見て、しおりを忘れてたのはぼくだと推理したのだろう。そして、ある日、思い切って(としておく)声をかけたのだろう。本好きの女の子と男の子が出会ったのである。ふつうなら恋が生まれてもおかしくないようなシチュエーションだが、何も生まれなかった。生まれようがなかった。小学3年生だったからだ。


ちなみに、返してもらったしおりをひっくり返してみたら、裏面には、「3年4組 ○○○○」と、エンピツの汚い字でご丁寧に名前が書いてあった。推理も思い切っても何もないのだった。


小学校6年生のときに引っ越しをした。引っ越した先の学校の図書室には特別な思い出はない。(どんな部屋だったのかも記憶にない。)でも、地域の児童館のことは今もよく覚えている。


小さな施設だったが、中には本の充実した図書室があって、学校のそれよりも立派で明るくてきれいだった。施設の人たち(小学生のお母さんぐらいの年齢の女性ばかりだった)も親切で、学校帰りに毎日のように遊びにくる本好きの小学生をかわいがってくれた(児童館でも、やんちゃなことばかりして、施設の人を困らせていた男子はたくさんいたから、ぼくのようなタイプはめずらしかったのだろう)


小学生までしか利用できない施設だった。6年生の途中で引っ越してきたぼくは、せっかくお気に入りの読書スポットを見つけたというのに、あっという間に「卒業」の時期になってしまったのだった。読み切っていない本、これから読むつもりだった本が本棚にまだたくさん残っている。本を読むだけだから、小学生たちが遊ぶ場所をとったりしないから、これからも来てはいけないだろうかとスタッフの人に相談してみた。もちろん、彼女たちにはルールを曲げることはできないのであった。「本当は来てほしいんだけどねえ……」。


いちばん仲良しだった方が、ならうちにおいで、と誘ってくれた。自宅で家庭文庫を開いていたのだ。ある日、訪ねてみた。6畳か8畳ほどの部屋の三方の壁が本棚で埋まっていて、児童書がぎっしりだった。小学生が数人、部屋の中央に座りこんで本を読んでいた。幸せな空間だった。でも、結局、そこには通わなかった。ぼくが行きたかったのは、図書室・図書館なのだ。出入りが自由で、長居してもすぐに帰ってもよくて、トイレを使うにも気兼ねが要らない場所。だから図書室・図書館はいいのだ。個人のお宅は、なんというか、窮屈だった。


高校のときの図書館にも、大学のときの図書館にも、そして、その間に利用してきた公立図書館にもいろいろ思い出があるが、これぐらいにしておこう。


これだけははっきりしている。図書館と図書室がなければ、ぼくはあんなにも本を読めなかった。


乱歩やルパンやホームズを読破することはできなかったろう。リンドグレーンや、ランサム、ケストナーを片端から読むこともできなかったろう。ドリトル先生にも出会えなかったろう。コロボックルや木かげの家の小人たちに出会うことも、プーの森やムーミン谷の住人たちに出会うこともなかったろう。当時のぼくには、あの空間が、つまり子どもたちが自由に出入りできて、ふんだんに本に出会えて、好きなだけ本を読める空間が、決定的に必要だった。



昨年から今年にかけて、図書館関連のニュースが大変な頻度で新聞や雑誌やWEBをにぎわせている。だが、残念ながらそれらは、ある図書館の運営方法の不備を批判的に取り上げるものだったり、図書館の新刊貸し出しが出版社の経営を圧迫しているから貸し出しを猶予するように求める動きを伝えるものだったりすることが多い。議論はエスカレートし、そもそもこの時代にはもう図書館なんて要らないのだといった極端な意見も目にするようになった。一人の意見ではない。プロアマ問わず複数の書き手がそのような主旨のことを書いたり口にしたりする。


悲しいことだなあと思う。


出版に携わる一人として、図書館が(対出版社、対書店という意味で)いろいろと微妙な問題を抱えた存在であることは充分に承知しているつもりである。


でも。それでも。ぼくは図書館を肯定したい。擁護したい。図書館が街にあってほしい。必要だとも思う。


広場で移動図書館車を待っていたとき。
学校図書室で次に読む本を借り出したとき。
児童館で「これは読んだ?」と次に読む本をすすめてもらったとき。
中学校の図書室で初めて大人ものの乱歩に出会ったとき。
放課後、高校の図書室で受験勉強をしていたら偶然気になる女の子と館内にふたりきりになっていることに気づいたとき。
市立図書館で、初めて児童書コーナーではなく一般書のコーナーに足を踏み入れたとき。


そのときどきのわくわくやどきどきは、ひとつひとつを鮮明に思い出すことこそできないけれど、でも、確実に蓄積されている。それらの蓄積がなかったら、本に関わる仕事につくことはできなかったろうし、こんなふうに本に関する文章を書いたりもしていないだろう。


ぼくは、世の中でもっとも好きな場所の1つが本屋さんで、とにかく本屋さんが大好きだから、本は、できるだけ本屋さんで買いたいと思っている。本を、できれば借りるだけじゃなくて自分のものにしたいという思いは、小学生のときからあった。でも、本屋さんだけでは、子どものころの読書欲は満たせなかった。『コロコロコミック』を買ってしまったら、他には本は買えなかった。でも、読みたい本は山のようにあったのだ。


そのときそのときに、図書館・図書室があったことに、図書館・図書室が「読みたい」と「買える」のバランスの取れていない子どもにたくさんの本との出会いを提供してくれたことに、今さらながら感謝したくなる。というか、図書館・図書室には感謝の気持ちしかない。


うちの本好きっ子が小さいときは、よく、それこそ毎週末のように、地元の図書館に通った。たくさんの本を一緒に読んだ。親子で本を読む時間を共有できたのは、ぼくにとって、本当に貴重な、大事な時間となった。願わくは、あの子にとってもそうであってほしいと思う。


今では、もう親子で図書館に行く機会はすっかり減って、というか、ほとんどなくなってしまったけれど、今でも独りで休日の図書館へふらりと遊びにいくことがある。


子連れではないので、長居はできないが、必ず、子どもの本のコーナーをのぞく。
読書席があるのに、床(じゅうたん)の上に座りこんで一心に本を読んでいる子。
広げると自分よりも大きな本に吸い込まれそうになっている子。
読書席に陣取り目の前に読む本を山のように積み上げている子。
疲れて寝てしまったお父さんの膝のうえで独りで絵本を読んでいる子。
小さな声で読み聞かせをしているお母さん。
絵を見つめながらお母さんの声に聞き入っている子。


図書館について、もやもやした気持ちを抱えている出版関係者、書店関係者はたくさんいると思う。一度、休日の図書館を訪ねてみてほしい。ふだんは見られない、または、忘れていた、本と読者の幸せな関係を絵に描いたような光景を目にすることができるかもしれない。


図書館が今のままでいいとは思わない。指定管理者の件、貸出猶予の件、電子図書館の件……図書館は変わっていくだろうし、そうでなければならないだろうとも思う。でも、図書館がこれからどんなふうに変わっていくにしても、図書館には、今後も引き続き、このような小さな読者(と、その家族)が、休日の読書をゆっくり楽しめる場所であり続けてほしい。そんなふうに思う。



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コメント

図書館の思い出

今回も、楽しく拝読しました!
また、出てくる本がエーミールと探偵たち…って、とっても素敵です。
ケストナー、最高ですね。

本が好きな人たちの幼少期には、
図書館とか図書室って密接に関係している気がします。

読みながら、学校の図書室とか、移動図書館とか、図書委員とか
ちょっと頑張って行かなければならない大きな図書館とか、
気になっていた子と本について話した淡い思い出とか、
いろいろと思い出しました。

自分のお小遣いでは限界がある幼少期、
好きなだけ本を読める環境というのは
ずっとずっとあり続けて欲しいと思います。

読んでも読んでも次に読むものがある、
棚いっぱいの本の、あの幸福な風景が小さい頃にあったから、
いま、好きな本はたくさん買って、
本を読む生活にあるのではないかと思っています。

だから、図書館の問題も、良い方向に解決しますように、
と願ってやみません。

なんか、ほっこりした気分になりました。
素敵な文章ありがとうございました。

  • 2016/02/08(月) 23:26:58 |
  • URL |
  • れこ子 #-
  • [ 編集 ]

Re: 図書館の思い出

れこ子さん>
訪問&コメント、いつもありがとうございます。

> 読んでも読んでも次に読むものがある、
> 棚いっぱいの本の、あの幸福な風景が小さい頃にあったから、
> いま、好きな本はたくさん買って、
> 本を読む生活にあるのではないかと思っています。

全面的に同感です。

当方の駄文で、いろいろと楽しい図書館の思い出が
喚起されたのだとしたら、こちらもうれしいです。

  • 2016/02/09(火) 23:54:24 |
  • URL |
  • 空犬太郎 #-
  • [ 編集 ]

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