ブックンロールが終わると、すぐに本屋さんの取材が数件続き(まだ詳細書けませんが、雑誌の本屋特集がらみの頼まれごとです)、さらに先週は後半3日が出張(本業の用事です)で、前半はその準備でつぶれてしまい、やっと出張が終わって帰ってきたと思ったら今度は(楽しい用事ではあるのですが)トークイベント。イベントが、自分で企画・主催しているものではなくて、聴きにいくだけの気楽なものだったのが救いですが(自分のイベントなら死んでました……)、とにかく用事が途切れず、からだを休める間がぜんぜんなくて、さすがにちょっとへたり気味の空犬です……。
今日、聞いてきたのは、以前の記事で紹介済みこちらのイベントです。
- 「『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』を語る 7月5日」(5/19 東京堂書店)


東京堂書店の東京堂ホールで行われました。会場はほぼ満員。閉店からまもなく2年、いくら本好きの間では全国区でその名前は知られているとはいえ、関東近郊のお店ならともかく、神戸の書店のことを書いた本の刊行記念トークイベントですからね。こんなに大きな会場で大丈夫かなあ、という気も実は少ししていたのですが、杞憂だったようで、会場は熱心な聞き手でほぼ満員になっていました。

↑会場には、かつての海文堂書店の様子を伝える写真や、冊子など、貴重な資料も展示されていました。
ちなみに、本はこちら。発売は明日ですが、会場では先行販売が行われました。
- 平野義昌『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂)

↑税抜1900円という値段が信じられないぐらい、美しい仕上がりです。本については、またあらためて。
トークは3部構成。最初のパートは、今回の本の出版元である苦楽堂の社主であり編集担当者でもある石井伸介さんと平野さんが、海文堂書店の写真を見ながら同店の歴史を振り返る、というもの。一部は本にも図版として収録されていますが、初めて目にするような写真もたくさんあり、同店のことを知らない関東の本屋好きにはもちろん、かつて同店に通ったことのある人にも、なつかしい、というだけでなく、新鮮なものになっていたのではないでしょうか。
休憩をはさんでの第2部には、『書棚と平台』(弘文堂)著者で、出版流通と書店の歴史にくわしい上智大学准教授の柴野京子さんが登壇。3人でのトークとなりました。興味深い話題が次々にとびだすおもしろいパートではあったのですが、平野さんと柴野さんのやりとりを期待していた向き(当方もです)には、その部分がもの足りなくうつったかもしれません。(あと、これは内容には関係ないですが、お三方の音声が小さくて、全体に息を詰めて、耳を凝らして聞くような感じになってしまったのはちょっと残念でした。)
第3部は、会場からのメッセージ。平野さんに縁の深い3人、夏葉社の島田潤一郎さん、写真家のキッチンミノルさんの、海文堂書店写真集をつくったおふたり、そして、元書店員でイラストレーターの佐藤ジュンコさんから、平野さんにひとことずつメッセージが贈られました。
最後に、短時間の質疑応答があり、平野さんのあいさつでトークイベントは終了。イベント終了後には、平野さんのサイン会が行われ、平野さんの前にサインを求める人の長蛇の列ができていました。お客さんたちが平野さんに話しかけたり、握手したり、一緒に写真を撮ったりする様子を見ていて、平野さんも海文堂書店も、ほんとうに愛されているなあ、とそんなことをあらためて思ったりしました

↑サイン会、最後尾はこの方、夏葉社の島田さん。海の本屋本の書き手と、海の本屋の写真集をいち早くつくったと人の2ショット。

↑ぼくももちろんサインをいただきましたよ。
「えーと、ソラシドさん、でいいですか」(笑)
何十人分ものサインをこなし(ぼくは半分関係者みたいなものということで、列の最後に並んでいました)、疲れているはずなのに、最後まで軽口を忘れない平野さんでした。



↑サイン会のときに配られたもの。「99+1 海文堂生誕100年まつり」のときのポストカードと、ギャラリー島田で行われている出版記念展「本への変愛 Partiality for Books」の案内。
以上、本日のイベントの、ごくごく簡単なレポートでした。
今日は平野さんの人柄のよく出た、あたたかい雰囲気のイベントで、全体にいい話だったと思いますが、ちょっとだけ気になったこともありましたので、最後にふれておきます。(平野さんの話や、平野さんの本に直接関わることではありません。)
話の流れで、海文堂書店が閉店するときの前後のことに話題が及んだときに、当時の様子についての石井さんからの質問に対して、柴野さんが、「本屋はわざわざ行く場所ではない」という主旨のことを口にされ、さらに、自分はそのとき行かなかったし、そんな、(東京のお店ならともかく、自分がふだん行かない地域のお店にわざわざ行くような)はしたないことはしないという主旨のことを口にされました。
本屋さんとの距離感は人それぞれですし、本屋さんに対して、とくにお店が閉店するときに自分がとるべき態度については、いろいろな考えがあっていいと思いますから、この1点をもって、批判したいとも誰かと議論したいとも思いませんが、聞き流すにはちょっとことばが強かったこともあり、その後、ずっと気になっていました。
というのも、ぼくは、そういう「はしたないこと」をしてきたし、これからもするであろう、タイプだからです。
本屋さんは、わざわざ行く場所ではない、のかもしれません。でも、本屋さんは、わざわざ行く場所であってもいい、とも思いました。
自分がふだん利用しているわけではない本屋さんに、わざわざ行くのが、たとえ閉店の直前であっても閉店当日であっても、それは決して「はしたない」ことなどではないのでは、と、そんなふうにも思いました。
さらに言えば、どのような店にどのような機会にどのような理由で行こうと、その店が門戸を開いているかぎり、それは行く人の自由であって、決して「はしたない」なんてことはないのでは、とも思いました。
今日のトーク会場には、遠くの本屋さんにわざわざ駆けつけるようなタイプの人が(当方はもちろん含めて、当方の知るだけで少なくとも)複数いましたから、このような表現がよけいに気になった次第です。
あるお店について、その店名や評判をWebや本屋本、雑誌の本屋特集、人からの話で見聞きしているだけなのと、たとえ1回でも訪問して実際の様子を目にしているのとでは、そのお店の印象は、そして、その人にとっての残り方は、ぜんぜん違うと思うのです。
ぼくは、海文堂書店の閉店の少し前に、同店を訪ねました。久しぶりの訪問が、閉店直前というタイミングになってしまいました。閉店だからといってわざわざその店に駆けつけるようなぼくの行為は、柴野さん言うところの「はしたない」ものだったのかもしれません。でも、ぼくはそれでもいいと思っています。なぜなら、店内の様子を、実際に目にすることにできたからです。平野さんが海文堂書店のレジに立っているところを目にすることができたからです。平野さんにレジを打ってもらい、海文堂書店のレジでことばを交わすことができたからです。そして、このような記事を書くことができたからです。
実際に訪問したくても、時間的に距離的に費用的にかなわない人も多かったはずですが、そのような方のために、多少なりとも店の雰囲気を伝える記録を残せたことを、自分でもよかったなと思っています。
『ほんまに』15号(くとうてん)に、同店の個人的な思い出について書かせてもらったことがあります。そこに書いたように、最後の訪問がなかったとしても、海文堂書店はぼくにとって思い出深い本屋さんの一つでした。でも、最後の訪問があったからこそ、海文堂書店は、特別な本屋さんの1つになりました。
だから、ぼくは、これからも、あちこちの本屋さんに「わざわざ」出かけようと思うのです。