空犬通信

本・本屋好きが、買った本、読んだ本、気になる本・本屋さんを紹介するサイトです。

「舟を編む」人たち、辞書のこと、そして『新明解国語辞典』

書店に足繁く通っている話ばっかり書いているもので、出版営業が本業だと思われたりすることがしょっちゅうあるんですが、本業は編集です。


「お仕事は?」
「編集を」
「じゃあ、有名な作家さんとかに会えたりするんですか?」
「……いえ、文芸の担当じゃないので……」
「そうなんですか」(←棒読み+がっかり感丸出し)


この仕事について20年ぐらいになりますが、このような経験は1度や2度ではありません。編集=文芸と思っている方が世間にたくさんいるらしいことは、この間に思い知らされたことの1つ。相手の方の好きな本や関心のあるジャンルによって、この「文芸」が「コミック」や「雑誌」に置き換わることはあるかもしれませんが、それ以外の多くのジャンルになることはあんまりなさそう。そもそも、その他のジャンルは、編集者が関わっているとは思われていないのかもしれません(苦笑)。


だから、このような小説が出たときには、ちょっとびっくりしてしまいました。



版元のサイトによれば、このようなお話。《玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。/定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。/個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく――。/しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか――。》


そう、出版社、それも辞書編集部が舞台で、主要登場人物が辞書編集者で、テーマが辞書作りという作品なのです。辞書に取り組んだ人たちを描いたノンフィクションは、高田宏『言葉の海へ』他、過去にそれなりに例がありますが、辞書の世界が設定のメインに据えられたフィクションというのは、きわめてめずらしいケースではないでしょうか。


辞書とか編集はただの設定、ただのお飾りで、本筋は別にある話、それも恋愛ものだったりしたらちょっとやだな、と、読み始める前は不安もゼロではなかったんですが、でも、杞憂でした。きちんと、本作りというものに、そして、ことばというものに対峙しながら、それを小難しい話、地味なだけの話に終わらせることなく、読んでおもしろい物語にまとめられていました。


ぼくはこれまで三浦しをんさんの作品のいい読み手では決してなかったのですが、この作品を読んだいま、ふだん日のあたりにくいジャンルの編集に携わっている編集者の1人として、三浦しをんさんには、ありがとうと、お礼を言いたい気分です。「本」にはこんな世界もあるんだよ、ということを、おもしろい読み物のかたちで、こんなふうに世に問うてくれたことに、心から感謝したいのです。


お話のくわしいことや感想は、もうすでにあちこちにあがっていますから、控えます。代わりに、「辞書」のことを少し。辞書なんてどれも同じだと思っている人は多いだろうと思います。一般の本読みはもちろん、たとえば、辞書のような、ことばのツールを日常的に自在に使いこなしていそうなプロの文筆家も例外ではありません(たとえば、角田光代さんは本書の書評「字間と行間と人間と世間」(サンデー毎日 2011年11月13日号「サンデーらいぶらりぃ」)のなかで、《ある種地味な世界だ。辞書を読むのが好きな人もいるにはいるが、私はてんで興味がなかった。日常的に使うのに何か思うことすら、なかった。あまりにも興味がないものだから、果たして最後まで読めるかと心配で本を開いた》そうだが、またたくまに引き込まれ、書評の最後を《辞書のおもしろさを知らずに過ごしてきたことが、じつに悔やまれる》と結んでいる)。


そんな方々のうち、もしも本書がきっかけで、辞書の世界に多少なりとも興味を引かれた方がいたら、こんな本たちに手をのばしてみてはいかが。



  • サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(ハヤカワ文庫NF)

辞書の先進国、イギリスを代表する『オックスフォード英語大辞典』(OED)の中心人物、ジェイムズ・マレー博士と、用例収集協力者ウィリアム・マイナーの、実話にしてはすごすぎる奮闘の日々を描いたノンフィクション。洋書辞書を模した文庫の装丁もいいけれど、用例カードがぎしぎしに詰まった棚を背にした博士をあしらった親本のカバーも、中身をよく伝えていて捨てがたい。


  • 高田宏『言葉の海へ』(洋泉社MC新書)

日本初の近代国語辞書『言海』を独力で生み出した大槻文彦の生涯を追ったノンフィクション。ことばに関心のある人なら必読といっていい1冊かと思いますが、品切れなんですねえ。上にはいちばん新しい版を上げておきましたが、ぼくの手元にあるのは新潮文庫版。親本も新潮社で、岩波の同時代ライブラリーにも入っていたのかな。これに興味を引かれた人には、さらに『言海』(ちくま学芸文庫)が待っています。


辞書なんてどれも同じだろう、という方は、武藤康史さんや石山茂利夫さんの著書はいかがでしょう。武藤康史さんなら、『国語辞典の名語釈』(ちくま学芸文庫)、『裏読み深読み国語辞書』(草思社)がおすすめ。


そして、こうした辞書関連本で辞書の世界にはまってしまった人は、やっぱり「辞書」を手にしてみるのがいちばん。辞書なんて、高校入学のとき以来、一度も買ったことがない、という方も多いでしょう。そんな方には、今年、改訂版が刊行され、すでにあちこちで話題になっていて、『舟を編む』の巻末の参考文献にも登場していた『新明解国語辞典』の最新版、第7版を買ってみるのはどうでしょう。


ぼくも先日、特装版(白いほう)を購入、寝る前に読書をする際、かたわらに置いて、読書の合間に拾い読みをしたり、気になったことばを引いたりして楽しんでいます。


ふだんから辞書をよく使う方なら、本体に直接あたるのがいいですが、買ってもどこからどうやって引いていいのか、何がおもしろいのかよくわからない、という方は、赤瀬川原平さん『新解さんの謎』(文春文庫)、夏石鈴子さん『新解さんの読み方』『新解さんリターンズ』(ともに角川文庫)らを併読するといいでしょう。


いまや『新明解』の第一人者(笑)といってもいい、その夏石鈴子さんが、しばらく前にこんな稿を朝日新聞に寄せていましたね。「時代に丁寧、新解さん 「新明解国語辞典」第7版を読む」(12/9 朝日新聞)。おもしろい言葉の例などを、過去の版と比べたりしながら紹介していますから、辞書の「引きどころ」「読みどころ」の参考になるかもしれません。


新明解 夏石さん記事

↓こちらは、書店店頭で無料配布されているパンフレット。特徴などが丁寧に紹介されていますから、これを入手するのもいいでしょう。


新明解7版パンフ

スポンサーサイト

コメント

辞書を作るは人の仕事として誇るべし

三島が幼少期、辞書事典の類いを読むのが好きだったのは有名らしいですし(ひくではなく)、大西巨人は私ノンフィクションとも読める『神聖喜劇』の主人公東堂太郎に大辞林一冊を持たせ軍隊入りさせています。やっぱり辞書って大変なものなんですよ。それを作るなんて、良い仕事だと思いますよ、心から。

  • 2012/01/04(水) 21:59:45 |
  • URL |
  • 荒地の石 #-
  • [ 編集 ]

何を作るにせよ

荒地の石さん>
訪問&コメント、ありがとうございます。

どのジャンルであれ、本作りはおもしろい
仕事なんですよね。

  • 2012/01/04(水) 23:13:24 |
  • URL |
  • 空犬 #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://sorainutsushin.blog60.fc2.com/tb.php/1778-c053d7d4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad