理論社のときにもいろいろ考えさせられたことですが、出版社、それも大変な状況にある出版社のことについて書くのはむずかしいことがありますよね。その社が、労働争議を抱えていたり、経済的な危機にあったりするような場合はとくに。
この版元についても、いろいろな思いを持っている方がいることでしょう。「 〈本の舞台裏〉帰ってきた三一書房」(9/18 朝日新聞)。
記事は、『ボクが東電前に立ったわけ 3・11原発事故に怒る若者たち』を冒頭で紹介、その版元、三一書房を《大ヒットベストセラー『人間の条件』(五味川純平)で知られ、「反権力」「反差別」の出版姿勢で様々な著者に門戸を開いてきた》と紹介しています。
記事は、こう続きます。《しかし1998年以降は労働争議が勃発。本社のロックアウトなどが発生する中、新刊はもちろん重版の数も極端に減り、出版活動は停滞を余儀なくされる。06年に一度解決したが、新経営陣との間で再度争議が起こり、著者に対する印税や関連企業の従業員への給料の不払いなども続出。会社の存続自体が危ぶまれる状況が続いていた。》
《今年8月、東京地裁で、労働組合側が設立した新社が事業譲渡を受けて出版社の再建を図る和解が成立。新生・三一書房として再スタートを切った。園さんの『ボクが東電前に立ったわけ』は、新社にとって記念すべき新刊第一号になる。》
こまかな事情ではいろいろ違うところがありますが、理論社のときのことを思わせる流れですよね。
三一書房といえば、こういう硬派で社会派な版元というイメージが(とくにある世代の読者には)強いと思います。この種の社会派ノンフィクションはそれほど得意でないほうなんですが、ぼくの本棚には三一書房の本がたくさん並んでいたりします。というのも、この三一書房、探偵小説好きにとっても重要な版元だったりするんですよね。
なにしろ、この会社、海野十三、夢野久作、中井英夫、久生十蘭、香山滋の全集、少年小説大系といったシリーズを出している版元ですからね。うち、創元推理文庫版でそろえている中井をのぞき、海野・夢野・久生・香山は三一の全集を持っています。初めて買った個人全集は三一版の夢野、それも旧版の函入りのほうでした(ちなみに、久生も旧版の函入りのほう)。どれも大事な全集ですが、なかでも香山全集は、ぼくにとっては宝物としかいいようのない、我が家の本棚に並ぶ本のなかでも特別な本たちです。少年小説大系は、さすがに全部はそろえてませんが、探偵がらみのものは全部持っています。国書刊行会の「探偵クラブ」に単独巻がある蘭郁二郎はともかく、平田晋作なんて、手軽(とは言い難い値段だけど)に読めるのって、これだけですからね。
そのほかにも、探偵小説好きとして無視できない本に、以下のようなものがあります。
- 伊藤秀雄『近代の探偵小説』
- 伊藤秀雄『大正の探偵小説』
- 伊藤秀雄『昭和の探偵小説』
- 伊藤秀雄『黒岩涙香』
- 紀田順一郎『幻書辞典』
- 狩々博士『ドグラ・マグラの夢 覚醒する夢野久作』
探偵小説、とくに戦前の探偵小説、新青年周辺の作家・作品を愛する人で、この版元の本を1冊も持っていない人、この版元にお世話になっていない人はまずいないでしょう。それぐらい、探偵者にとっては、重要かつ大事な版元だったんですよね。(それだけに、この版元の本、とくに探偵関係のそれが、ぞっき扱いで、神保町の古書店でたたき売りとしか言いようのない値付けで安売りされているのを見ると、ほんとに悲しくてしかたないですが、それはまた別の話、ということで……。)
探偵小説以外にもいろいろありますよ。別役実さんの戯曲集もこの版元でしたね。装丁が印象的で、戯曲読みではないくせに、古書店で見かけるたびにけっこう気になったりしていました。フィクションでは、福島正実『SFハイライト 新しい夢と冒険の傑作集』といった意外なタイトルがあったり、『国立国会図書館入門』や『現代人の読書』(紀田順一郎)といった本の本も入っていたりと、意外にセレクトの幅の広い三一新書を思い浮かべる人も多いでしょう。
記事の最後には、こうあります。《かつては会社の出版姿勢が高く評価され、「三一だから」と言って書いてくれる著者を多く抱えているのが強みだった。小番(こつがい)伊佐夫・代表は「約13年間続いた労働争議の中で、著者との信頼関係も損なわれてしまった。きちんとおわびをした上で新たな信頼関係を築き、今後も三一らしい本を出していきたい」と話している。》
この「三一らしい本」に、探偵小説や異端文学は含まれてはいないでしょう。もちろんわかっています。わかっていますが、それでも、かつて、そのような分野の本をたくさん手がけ、探偵者にとって宝物のような本をたくさん残してくれたことは、多くの読者がちゃんと覚えていると思います。もちろんぼくも。だから、三一書房には、ぜひともがんばってほしいと、心からそう思うのです。