今日は午後、長時間の書店回りでへとへと、ただでさえやせっぽちなのに、脱水気味でいつもより縮小サイズで帰宅した空犬です。このところ、ブックンロール関係の記事が続きましたので、これからはまた、書店の開店閉店改装情報、おもしろフェアや書店フリペなど、訪ねた書店のレポート、買った本の話など、いつものノリに戻したいと思います。
以前の記事で紹介した、週刊ポストの不定期連載、「本に生かされた人々の記録 復興の書店」。被災地の書店の様子が気になる書店好きは必読といっていい良記事で、続きを楽しみにしていたのですが、第2回が、先日6/20発売の7/1号に掲載されましたね。「「本に生かされた人々の記録 復興の書店 第2回 移動書店の人びと」。
今回は、ヤマト屋書店、宝文堂(現在は宝文堂ブックサービス)が取りあげられています。《「書店が全くなくなってしまったが地域にこそ、本を送らなければ嘘だろう」》という思いから、トーハン東北支店と地元書店の協力で実現した、文字通り、まさに被災地を「移動」する書店の様子が紹介されています。
本文に引かれている書店やトーハンの方々の声や、現地でのエピソードはいずれも読む者の心をはげしく揺さぶるもので、何度読み返しても、涙が出ます。印象的な文章を引用したいところですが、前回同様、やはり今回もぜひ本記事をあたっていただきたいので、引用は控えます。本好き書店好きには広くすすめたい記事ですが、とくにあなたが本に関わる仕事をしているなら、この記事は必読ですよ。週刊誌ですから、次の号が出て店頭で入手しにくくなる前にぜひチェックを。ふだん週刊誌、とくにおじさん週刊誌は買わないんだ、という方も、この記事一本のために買う価値ありと言い切ってしまいます。本の仕事にかかわっていてよかった、と、そんなふうにあらためて思わせてくれる良記事です。
移動書店のほかに、被災地での営業再開を告げる書店員からの声として大いに話題を呼んだ、ジュンク堂書店仙台ロフト店の佐藤純子さんの「私たちはまた本屋さんになりました」(4/5 私は本になりたい)が全文掲載されています。このようなかたちで、書店員の個人ブログが週刊誌に全文掲載されるのはめずらしいことだと思いますが、雑誌に載ったことで、ふだんblogを読まないような方の目にも広くふれることになるといいですよね。とっても、すてきな文章なので。このすばらしい文章に、何か困る点があるとしたら、それは読むたびに、すぐにも書店に駆けつけたくなってしまうことぐらいでしょうか。さんざん書店を回ってきたくせに、いま読み返したら、また書店に生きたくなってますからね。
ついでに、東北の書店の様子を伝えてくれる記事を、ほかにも紹介しておきましょう。まずは、昨日アップされたこちら。「写真でみる原発被災地域の状況」(6/21 新文化)。新文化は、3/11以降、いろいろなかたちで被災地の書店の様子を紙面で、また、Webで伝えてくれていますが、この記事は、6月17~18日に、福島・南相馬市、相馬市、飯舘村などで取材されたときのものだそうです。いずれの写真も印象に残るものですが、なかでも、先日、全国紙でもその閉店が報じられた福島県飯舘村の村営書店、ほんの森いいたての写真は何度見ても涙が出そうになります。こんなキャプションが添えられています。
《全国唯一の村営書店として営業してきた、ほんの森いいたて。計画的避難区域に指定されたため、6月15日で休業となった。店舗のガラスには、高橋みほり副店長(左)とスタッフら手製の「きっといつか再オープンするぞ!!」の文字》……地元のみなさんはもちろん、全国のたくさんの本好き書店好きが「再オープン」を待っていますよ。
その、ほんの森いいたて閉店を告げる記事が朝日新聞夕刊に載ったは6/7で、「文化支えた村営書店閉店へ」というタイトルでした。Webにはあがっていないようです。閉店の理由は、売上や建物損壊などではなく、上のキャプションにもあるとおり全村民の計画避難終了に合わせたものだということ。ことばもありません。記事の最後に、村長さんのことばが引かれています。《「一日も早く避難が解除され、店が再開できるよう願っている」》
ほんの森いいたては、4月半ばに発売された雑誌『ケトル』(太田出版)の書店特集で取りあげられていたんですが、その後、お店の状況がわからなくなっていたんですよね。安否が確認されるまでの経緯は、Web本の雑誌にこんな記事がありますので、併せてご覧になるといいかと。「雑誌で掲載後、連絡不通だった福島県飯舘村の書店員から無事の知らせ届く~『ケトル』」(4/28 WEB本の雑誌)。
こういう記事たちを読んでいると、暑くて書店回りが大変だなんて、そんな情けないこと言ってられない、という気分になりますよね。今日一日で、多くの方が、この夏の節電が想像をはるかに超える大変なものになるであろうことを実感させられたことと思います。ぼくももちろんその一人。だからこそ、これらの記事を折にふれて読み返そうと、そんなふうに思ったのでした。